前々回の第4回目の調査記事では、SBT(Science Based Targets)の目標の水準として、以前は「1.5度水準」「2度より十分低い水準」「2度水準」の3種類が認定されていたけれど、今では「1.5度水準」のみが新規認定されているというお話をしました。
しかし、この「1.5度水準」が「世界の平均気温の上昇を産業革命前の水準から2度より十分低く保つとともに、1.5度までに抑える努力を継続すること」というパリ協定に記載された長期的な気温目標に照らして具体的にどのようにSBTiの文書で規定されているのかとなると、ご存知の方は少ないのではないでしょうか。また、「1.5度水準」がイメージとしてはどの程度の温室効果ガス(GHG)の排出削減努力を求められるものなのかということも、理解があやふやになってしまう方がいらっしゃるのではないかと思います。
そこで、第6回目となる今回の調査では、最新版のSBTi(SBTイニシアティブ)の企業ネットゼロ基準を紐解きながら、「1.5度水準」が目指す長期的な気温目標の規定内容と、排出削減努力のイメージを明らかにしていきたいと思います。
1.5度水準の長期的な気温目標の規定内容
1.5度水準の長期的な気温目標は2100年時点の温暖化を1.5度に抑制
●SBTiが目指す1.5度水準の長期的な気温目標は、「SBTi Corporate Net-Zero Standard(SBTi企業ネットゼロ基準)」 Version 1.2(2024年3月版)では、「ANNEX C: CLASSIFICATION OF TARGET TEMPERATURE ALIGNMENT(目標となる気温との整合性による分類)」の脚注にその規定内容と思われる記載があります。
●その長期的な気温目標の規定内容は次のとおりです。
1.5度水準 | 50%を超える確率で、2100年時点での温暖化を1.5度に抑える |
2度より十分低い水準 | 67%を超える確率で、現在から2100年までの間の温暖化のピークを2度未満に抑える |
※「長期的な気温目標(Long-term Temperature Goal)」という言葉はSBTの「長期目標(Long-term Target)」と似ていて紛らわしいですが、SBTiの原典では「目標」に当たる英単語がそれぞれ「Goal」と「Target」で使い分けられており、両者は違うものです。「長期的な気温目標」という言葉は、元々は、パリ協定第2条に記載された「世界の平均気温の上昇を産業革命前の水準から2度より十分低く保つとともに、1.5度までに抑える努力を継続すること」という文言を指す同協定第4条の同じ言葉に由来していると思われ、長期的な気温の推移に関する目標ということになるかと思います。一方、SBTの「長期目標」は、SBTの「ネットゼロ目標」を構成する要素の一つで、排出削減に関する目標ということになるかと思います。
2100年までの期間中の温暖化のピークを1.5度以内に抑えることも重要
●前述の長期的な気温目標を規定した箇所には、続いて「SBTiは企業に対して最低限求められる野心的削減水準のさらに上を目指すよう強く推奨する」と記載されています。
●また、「SBTi Corporate Net-Zero Standard」 Version 1.2(2024年3月版)の3章「Mitigation Pathways in the Net-Zero Standard(ネットゼロ基準における緩和経路)」では、「様々なリスクを緩和するために、IPCCの1.5度特別報告書は、オーバーシュートが全くないかまたは限定的なもの(0.1度未満のオーバーシュート)となるように温暖化を1.5度に抑える経路が重要であると強調した」ということを述べています。
●また、SBTiが2021年11月に出版したキャンペーン報告書「Status Report: Business Ambition for 1.5℃」では、「IPCCの1.5度特別報告書は、0.1度ずつの違いが問題になることを記憶に留めさせる厳格な注意喚起文書であった」と述べられています。
●つまり、2100年時点での温暖化を1.5度に抑えるだけではなく、可能な限り現在から2100年までの期間中の温暖化のピークを1.5度に抑える(オーバーシュートをなくす)ように、野心的に排出削減の目標を設定することが重要だということだと思います。
※「オーバーシュート(overshoot)」は、環境省の環境白書の中では、「ある特定の数値を一時的に超過することで、ここでは地球温暖化が1.5℃の水準を一時的に超過することを指す」と解説されています。
1.5度水準のSBT短期目標の排出削減イメージ
Scope1と2は最低削減率4.2%を基準年次第で調整計算して適用
●SBTの短期目標のScope1と2は、1.5度水準を最低でも満たすことが求められています。
●1.5度水準を満たす排出削減のイメージをつかむために、これをセクター横断的な総量削減手法(この手法については回を改めて調査・解説したいと思います)にあてはめた場合、最低限求められる削減直線の傾きは次のとおりとなり、目標期間にわたって毎年同量を削減することになります。
●つまり、最低限求められる傾き(最低削減率)は、4.2%を基準年次第で(基準年が2020年より後の場合は)調整計算した上で適用するようになっています。
1.5度水準 (短期目標のScope1、2) | 基準年<=2020年の場合 最低限の傾きは、4.2% 2020年<基準年の場合 最低限の傾きは、4.2%×(目標年-2020年)/(目標年-基準年) ※例えば、目標年が2030年で基準年が2022年とした場合、最低限の傾きは5.25%となる。 ※この例の場合、基準年の排出量の5.25%に当たる一定量を毎年削減することになるため、目標期間の8年間に合計で基準年の排出量の42%(=5.25%×8年)を削減する計算になる。 ※削減直線の「傾き」は「線形年間削減率(Linear annual reduction rate)」を意味する。 |
●この基準年に基づく調整計算は、2021年12月に導入された文書「Target Validation Protocol for Near-term Targets」 Version 3.0(2021年12月出版、2022年7月発効)以降に適用されるようになっています。
●この調整計算の理由は、「SBTi Corporate Net-Zero Standard」 Version 1.2(2024年3月版)の19/87ページの脚注に述べられており、削減直線の最低限の傾き4.2%という必要条件が2020年時点でのカーボンバジェットに関する試算に基づいたものであるためとされています。
※「カーボンバジェット(Carbon budget)」は、「SBTi Glossary(用語解説)」Version 1.0(2024年2月版)では、「他のGHGや気候変動要因の地球表面温度への影響を考慮した上で、参照期間(産業革命前など)からの地球表面温度の上昇を所定の水準までに抑えるために見積もられた世界全体の二酸化炭素排出累積試算量」と定義されています。国立環境研究所から引用したもう少し分かりやすい定義は次のとおりです。
「カーボン・バジェットとは、気温上昇をあるレベルまでに抑えようとする場合、温室効果ガスの累積排出量(過去の排出量+これからの排出量)の上限が決まるということを意味します。過去の排出量は推計されているため、気温上昇を何度までに抑えたいかを決めれば、今後、どれくらい温室効果ガスを排出してもよいかを計算できるということになります。」
これに関連して、「残余カーボンバジェット(Remaining carbon budget)」という言葉もあります。これは前述の国立環境研究所の定義にならえば、これからの排出量の許容上限値になるかと思います。時間の経過と共に、残余カーボンバジェットは減少していき、将来的に排出を伴う産業活動の余裕がなくなっていきます。残余カーボンバジェットを超えて排出してしまえば、IPCCの1.5度特別報告書で示されるとおり、壊滅的な気象災害などを受けるリスクが高まることになります。なお、カーボンバジェットは「炭素予算」とも訳されます。
●なお、これはあくまでイメージのためにセクター横断的な総量削減手法にあてはめたものであり、セクターによっては、セクター別の削減手法(この手法については回を改めて調査・解説したいと思います)が適用されますので、ご注意ください。
Scope3は最低削減率2.5%を基準年次第で調整計算して適用
●SBTの短期目標のScope3は、2度より十分低い水準を最低でも満たすことが求められています。
●2度より十分低い水準を満たす排出削減のイメージをつかむために、前述の1.5度水準の排出削減イメージと同様に、これをセクター横断的な総量削減手法にあてはめた場合、最低限求められる削減直線の傾きは次のとおりとなり、目標期間にわたって毎年同量を削減することになります。
●つまり、最低限求められる傾き(最低削減率)は、2.5%を基準年次第で(基準年が2020年より後の場合は)調整計算した上で適用するようになっています。
2度より十分低い水準 (短期目標のScope3) | 基準年<=2020年の場合 最低限の傾きは、2.5% 2020年<基準年の場合 最低限の傾きは、2.5%×(目標年-2020年)/(目標年-基準年) ※例えば、目標年が2030年で基準年が2022年とした場合、最低限の傾きは3.125%となる。 ※この例の場合、基準年の排出量の3.125%に当たる一定量を毎年削減することになるため、目標期間の8年間に合計で基準年の排出量の25%(=3.125%×8年)を削減する計算になる。 ※削減直線の「傾き」は「線形年間削減率(Linear annual reduction rate)」を意味する。 |
●なお、1.5度水準のイメージと同様に、これはあくまでイメージのためにセクター横断的な総量削減手法にあてはめたものであり、セクターによっては、セクター別の削減手法が適用されますので、ご注意ください。
1.5度水準のSBT長期目標の排出削減イメージ
SBT長期目標はScope1、2、3の全てで総量を最低90%削減
●SBTの長期目標では、Scope1、2、3の全てにおいて、1.5度水準を最低でも満たすことが求められています。
●先ほどと同様に、1.5度水準を満たす排出削減のイメージをつかむために、これをセクター横断的な総量削減手法にあてはめた場合、最低限求められる削減量は、総量で90%となります。
まとめ
第6回目の調査記事となる今回は、まず1.5度水準の目指す長期的な気温目標が「50%を超える確率で、2100年時点の温暖化を1.5度に抑える」ことであることを確認しました。
そして、2100年時点の温暖化を1.5度に抑えることだけではなく、可能な限り現在から2100年までの期間中の温暖化のピークを1.5度に抑える(オーバーシュートをなくす)ことも重要であることを併せて確認しました。
また、後半には、この長期的な気温目標を達成するためのSBT短期目標とSBT長期目標の排出削減イメージを確認しました。
ところで、この調査記事を書いている2024年6月には、「世界の1年間の平均気温が今後5年以内に産業革命前と比べ1.5度以上高くなる確率は80%になる」と世界気象機関(WMO)が発表したとNHKなどで報じられています。大手企業の間ではSBTの認定企業の数が増加していると思いますが、サプライチェーン全体での取組みとなると、まだまだ課題を残しているのではないかと思います。私もSBTの認定に資する情報の発信を通してできることを粛々と行い続けたいと思っています。
このブログでは、初心者による初心者のための分かりやすい解説を売りにして、回を重ねて少しずつ疑問点を調査に基づいて解消していくという執筆方針をとっており、体系的な知識・情報をあらかじめ取得してから記事を書いている訳ではありません。
読者の皆様には、その点をご理解いただいた上で参考にしていただきたいと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。