読者の方の中には、SBT(Science Based Targets)とは「科学的知見と整合した目標」、より詳しくは、「最新の気候科学の知見が要求する水準と整合した温室効果ガス(GHG)排出削減目標」であるということを既にご存知の方もおられるかと思います。
でも、気候科学の要求水準と整合しているという水準が具体的にどの程度の水準かとなると、理解が曖昧な方もいらっしゃるのではないでしょうか。
中には、私のように、インターネットで調べたら2度水準のGHG排出削減シナリオと整合している目標をSBTi(SBTイニシアティブ)が認定していたという情報を見つけたという方もいらっしゃると思います。
そこで、第4回目となる今回の調査では、SBT公式サイトのニュース記事などからSBTiの足跡を一つ一つ振り返って見ることで、現在認定可能なSBTの目標の水準は2度水準なのか、それとも1.5度水準などの他の水準なのかを明らかにしていきたいと思います。
気候科学、SBT、SBTiの変化
気候科学の要求水準は知見の蓄積に応じて変化
●SBTi (Science Based Targets initiative)の設立は2015年5月と考えられますが、その後も気候科学が人類に対して要求する水準は科学的知見の蓄積に応じて変化してきています。
※SBTiの設立は、SBTiの年次報告書「Progress Report 2019」によると「2015年6月」になっていますが、SBT公式サイトで2014年9月に掲載の始まっている一連のニュース記事を古い順に読むと、2015年5月に「Science Based Targets initiative」という言葉が初めて出てきており、2015年5月にはSBTiは設立されていたと考える方が自然と考えられます。
●特に、2018年10月に発表されたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の1.5度特別報告書は、気候科学が要求する水準に大きな変化をもたらしました。この1.5度特別報告書がもたらしたメッセージは次のようなものでした(SBTiの報告書「Status Report: Business Ambition for 1.5℃」参照)。
気候崩壊による最悪の結果を避けるためには、地球の温度上昇を1.5度に抑えなければいけない。このためには、温室効果ガス(GHG)排出量は2030年までに半減され、2050年以前にネットゼロを達成しなければいけない。
●参考までに、IPCCの定期的な評価報告書でも、人間活動が地球温暖化に影響を及ぼしている可能性の確率は知見の蓄積に応じて徐々に高まり、最新の評価報告書では確信へと変わっています(環境省の資料「IPCC第6次評価報告書の概要-第1作業部会(自然科学的根拠)」参照)。
第1次評価報告書(1990年) | 人為起源の温室効果ガスは気候変化を生じさせる恐れがある。 |
第2次評価報告書(1995年) | 識別可能な人為的影響が全球の気候に表れている。 |
第3次評価報告書(2001年) | 過去50年に観測された温暖化の大部分は、温室効果ガスの濃度の増加によるものだった可能性が高い(66%以上) |
第4次評価報告書(2007年) | 温暖化には疑う余地がない。20世紀半ば以降の温暖化のほとんどは、人為起源の温室効果ガス濃度の増加による可能性が非常に高い(90%以上)。 |
第5次評価報告書(2013年) | 温暖化には疑う余地がない。20世紀半ば以降の温暖化の主な要因は、人間活動の可能性が極めて高い(95%以上)。 |
第6次評価報告書(2021年) | 人間の影響が大気、海洋および陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がない。 |
SBTの目標水準も気候科学の進歩に応じて変化
●SBTiの活動目的は、企業が設定するGHG排出削減目標を、気候科学が求める野心的な水準のGHG排出削減量と整合させることですので、気候科学が求める水準が変化すれば、当然、SBTの目標水準も変化することになります。
●具体的には、SBTiは、産業革命前の平均気温と比べた温度上昇の許容水準を、SBTiの開始当初は「2度水準」としていましたが、その後、気候科学の進歩に応じて、「2度水準」→「2度より十分低い水準」→「1.5度水準」と下方修正し、目標設定企業に求めるGHG排出削減水準を厳格化しています。
※ただし、実際には複数の水準が同時に存在しどの水準で認定を申請するかを選択できる時期もありました。詳しくは後述の年表をご覧ください。
●今後も、SBTiは基準類の更新を継続していくとしています。従って、SBTの目標設定に関する情報をインターネット検索する場合には、それがいつの情報なのか、最新の情報なのかを常に確認する必要があります。読者の皆様は十分に注意してください。
SBTiの組織も目標認定事業の需要増に応じて変化
●SBTiは、2022年5月に発表した年次報告書「Progress Report 2021」で、2021年はそれまでの目標認定事業において過去最高記録を達成した年となり、指数関数的な認定数の増加があったと発表しています。
●このようなSBTiによる目標認定事業の需要の高まりを受けて、SBTiは、SBTiを構成していた4団体(CDP、世界資源研究所(WRI)、世界自然保護基金(WWF)、国連グローバル・コンパクト)によるイニシアティブから正式な法人組織へと独立することを2022年6月に発表しました。そして、2023年6月に同4団体やWe Mean Business Coalition(非営利のグローバルな連合体)との連携を保ちつつも、独立して法人化しています。それとともに、SBTiは英国でチャリティ(非営利組織)として登録されています。
※「イニシアティブ」とは、社会課題を解決するために新たに設けた構想・取組みで、その趣旨への賛同・参画者を広く求めていこうとするもののことです。
●さらに、2023年9月に、SBTiはこの法人組織から目標認定部門を分離・独立させてSBTi Services Limitedを設立するなど組織運営能力の強化を図っています。
【年表】気候科学、SBT、SBTiの変化
SBTの目標水準は「2度水準」→「2度より十分低い水準」→「1.5度水準」と変化
●以下の年表は、SBT公式サイトの一連のニュース記事を主な情報源として作成したものです。
●気候科学、SBT、SBTiの移り変わっていく流れ、特に、SBTiがSBTの目標水準を「2度水準」→「2度より十分低い水準」→「1.5度水準」と厳格化した流れをご確認ください。
SBTiの活動当初は、2度より十分低い水準と1.5度水準はなく、2度水準のみが存在。GHG排出削減目標が「Science-based(科学的知見と整合した)」であるかどうかの定義は2度水準と整合した目標であるかどうかであった。
パリ協定を採択し、1.5度努力目標を明文化。
GHG排出削減目標が「Science-based」であるかどうかの定義が2度水準、2度より十分低い水準、1.5度水準のいずれかと整合した目標であるかどうかに変更された。
SBTiが企業に対して1.5度水準と整合した目標を設定するよう奨励。
GHG排出削減目標が「Science-based」であるかどうかの定義が2度より十分低い水準もしくは1.5度水準と整合した目標であるかどうかに変更された。
この時点でのSMEs(Small and Medium sized Enterprises:中小企業)の定義は、子会社ではない独立した企業であり、従業員数が500人未満であることなどであった。
GHG排出削減目標が「Science-based」であるかどうかの定義は、企業向けSBTのケースと同様に、2度より十分低い水準もしくは1.5度水準と整合した目標であるかどうかとされた。
ネットゼロ基準を採用する企業は1.5度水準と整合した形でサプライチェーン全体で(Scope1、Scope2、Scope3の全てで)短期目標(直近の向こう5~10年間でのGHG排出削減目標)と長期目標(2050年以前までに達成する脱炭素の全体水準)の両方を設定することが求められることとなった。SBTiによるネットゼロ基準の導入によって、単に企業が独自の手法に基づいてネットゼロ目標を発表していただけの状況から正式に国際的に認定された手法に基づいてネットゼロ目標を設定している状況へと変わることとなり、SBT認定企業のネットゼロ目標が信頼性を獲得することになった。
国際社会が1.5度目標を再確認。
設立パートナーであるCDP、世界資源研究所 (WRI)、世界自然保護基金 (WWF)、および国連グローバル・コンパクトとその協力者であるWe Mean Business Coalitionとは連携しながらも、それらから独立した正式な機関として法人化する意向を発表。
GHG排出削減目標が「Science-based」であるかどうかの定義が1.5度水準と整合した目標であるかどうかに変更された。
SBTiが法人化するとともに英国でチャリティ(非営利組織)として登録。
目標認定サービスへの需要の高まりを受けて、目標認定部門を分離・独立させて下部組織となるSBTi Services Limitedを設立。
従業員数が250人未満の中小企業とするなどのSMEsの定義の更新があり、2024年1月から発効すると発表。
ドラフト版のネットゼロ基準のパブリックコンサルテーションを2024年第4四半期に予定しているので、更新版のネットゼロ基準の発表はその後と見込まれる。
SBTiが金融機関に対して目標水準を1.5度水準に引き上げる「短期目標要件」を発表。2024年11月末日に同要件が発効予定。
現在認定可能なSBTの目標水準
現在認定可能なSBTの目標の水準は「1.5度水準」のみ
●以上の年表で見てきたとおり、現在SBTiが新規で受け付けている認定可能なSBTの目標の水準は1.5度水準のみとなります(※金融機関向けSBTは2024年11月末日から適用)。
●つまり、SBTiによる最新の「Science-based(科学的知見と整合した)」の定義は、1.5度水準と整合していることとなります。
●なお、「SBTi Corporate Net-Zero Standard(SBTi企業ネットゼロ基準)」Version1.2(2024年3月版)の「5.3.4 Ambition(野心的狙い)」を参照すると、1.5度水準の目標のみが基本であっても、短期目標のScope3に限っては、2度より十分低い水準に整合するような目標でよいとされていますので、ご留意ください。
「2度水準」や「2度より十分低い水準」での認定済企業は目標の更新が必要
●既に以前の2度水準や2度より十分低い水準で認定を受けている企業は、次のとおり目標の更新が必要になっていますので、今後は1.5度水準に統一されていくこととなります。(※「SBTi Corporate Net-Zero Standard (SBTi企業ネットゼロ基準)」Version 1.2(2024年3月版)の「5.4.2 Recalculation and target validity (再計算と目標の有効性)」の「C32 Mandatory target review (目標の強制的見直し)」を参照)
- 2020年以前に目標が認定された企業は、2025年までに目標を更新する。
- 2020年より後に目標が認定された企業は、少なくとも5年ごとに目標を見直し、更新する。
まとめ
第4回目となる今回の調査記事では、まず気候科学、SBT、SBTiの移り変わりを確認しました。
具体的には、気候科学の知見は常に進歩しており、それに併せてSBTの目標水準も「2度水準」→「2度より十分低い水準」→「1.5度水準」と厳格化するとともにSBTiの組織も強化しているということを確認しました。
そして、最後には、現在SBTiが新規で受け付けている認定可能なSBTの目標の水準は1.5度水準のみであることを確認しました。
しかし、私の頭の中では、企業向けのSBT、金融機関向けのSBT、SMEs(中小企業)向けのSBTといったSBTの種類によってSBTはどのように違うのだろうか、SBTiによるネットゼロ基準で長期目標が認定されるようになったことは分かったけれどそれまでの2度目標、2度より十分低い目標、1.5度目標は短期目標という扱いだったのだろうかなどと新たな疑問がたくさん湧いてきています。
こうした新たな疑問は次回以降の調査で改めて整理してお伝えしていければと考えています。
このブログでは、初心者による初心者のための分かりやすい解説を売りにして、回を重ねて少しずつ疑問点を調査に基づいて解消していくという執筆方針をとっており、体系的な知識・情報をあらかじめ取得してから記事を書いている訳ではありません。
読者の皆様には、その点をご理解いただいた上で参考にしていただきたいと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。
投稿後の加筆・修正
【2024.06.04】修正情報の提供を目的に加筆・修正
※この記事は2024.05.20に初投稿していますが、以下の点につき修正情報を提供することを主な目的に、2024.06.04に本文の関連箇所を加筆・修正しています。
①2024年5月に、SBTiが金融機関向けの目標水準を2024年11月末日から1.5度水準に厳格化する予定であることを発表したこと。
【2024.11.23】追加情報の提供を目的に加筆・修正
※この記事は2024.05.20に初投稿していますが、以下の点につき追加情報を提供することを主な目的に、2024.11.23に本文の関連箇所を加筆・修正しています。
①SBTiが法人化後に英国でチャリティ(非営利組織)として登録されたこと。
②SBTiが目標認定部門を分離・独立化して下部組織となるSBTi Services Limitedを設立したこと。
③既に「2度水準」や「2度より十分低い水準」で認定を取得済の企業が目標の更新をしなければいけないことの根拠となる基準の該当箇所。