前回の第2回の調査記事では、Scopeという概念の考案者がSBTi(SBTイニシアティブ)ではなくGHGプロトコルであることを明らかにするとともに、GHGプロトコルとは何かということを解説しました。
ところで、私は、Scope1、Scope2、Scope3という概念はSBTiが考案したものなのではないかという疑問を前回の調査時点ではもっていたものですから、ここで新たな疑問に向き合うことになりました。
それは、GHGプロトコルが考案したScopeという概念をどうしてSBTiも使っているのか、という疑問です。
そこで、第3回目となる今回の調査では、GHGプロトコルとSBTiのそれぞれの設立の経緯、特にそれぞれが抱えていた設立時の問題意識を明らかにした上で、両者の関係性を見ていきたいと思います。
GHGプロトコルの設立の経緯と歩み
GHGプロトコルの問題意識はGHG排出量算定手法の国際標準化
●GHGプロトコルの公式サイトの「About Us」を見ると、GHGプロトコルの設立にあたって、その構成機関となるWRI(世界資源研究所)とWBCSD(持続可能な開発のための世界経済人会議)の両者は、GHG排出量の算定・報告に関する基準(ルール)を作り、その基準を国際標準化する必要性があるとの問題意識を1990年代後半頃からそれぞれに抱えていたことが分かります。
●また、GHGプロトコルの公式サイトの「About the Corporate Standard(コーポレート基準とは)」を見ると、GHGプロトコルのコーポレート基準(正式名称等は後述)は、次のような目的意識をもって設計されていることが分かります。
- 企業が国際標準化されたアプローチや原則に則ることによって正確かつ明朗に排出量を記述したGHGインベントリを作成できるように支援する。
- GHGインベントリを編集する作業を簡略化し労力を減少させる。
- GHG排出量を管理・削減するための効果的な戦略を立てるために必要な情報を企業に提供する。
- 様々な企業・GHGプログラム間でGHG算定・報告を行う際の一貫性や透明性を向上させる。
※GHGインベントリの「インベントリ(inventory)」は、GHGプロトコルのコーポレート基準の巻末用語解説で、「ある組織の定量化(算定)されたGHG排出量と排出源を記載したリスト」と定義されています。参考までに、インベントリは、「ある場所に存在する全ての物の詳細なリスト」と英英辞書で定義されており、日本語一言では、「(在庫)目録」「棚卸表」「一覧」等と訳されます。
●これらの情報からまとめて簡潔に言えば、GHGプロトコルが設立当時に抱えていた問題意識は、GHG排出量の算定手法を国際標準化することであったと言えるかと思います。
●これに関連して、GHGプロトコルの公式サイトのトップページを見ると、GHGプロトコルによるこれまでの取組みの成果として、「米国の大企業上位500社のランキングを表したフォーチュン500のうちで、CDP(国際環境NGO)にGHG排出量報告を行っている企業の9割以上がGHGプロトコルによる算定・報告基準を採用している」ということが分かります。
GHGプロトコルの設立は1998年(京都議定書の採択の翌年)
●GHGプロトコルの設立は時代的には京都議定書が採択された翌年になります。
●GHGプロトコルの主な歩みは、関連する国際的な動向を含めて、次のとおりとなります。
地球温暖化防止のためGHG排出量の削減目標を設定。
WRIはSBTi(SBTイニシアティブ)の設立パートナーとなる5団体のうちの1つでもある。
コーポレート基準にはScope1~3の定義が記載されている。
※コーポレート基準、Scope2ガイダンス、Scope3基準のそれぞれの正式名称は次のとおりです。
これらの基準類の内容については回を改めて解説したいと考えています。
コーポレート基準
-英語正式名称は「A Corporate Accounting and Reporting Standard」(コーポレート向けの算定と報告の基準:星山仮訳)
-英語通称は「Corporate Standard」
Scope2ガイダンス(スコープ2ガイダンス)
-英語正式名称も通称も共に「Scope2 Guidance」
-英語副題は「An amendment to the GHG Protocol Corporate Standard」(GHGプロトコル・コーポレート基準の改訂:星山仮訳)
Scope3基準(スコープ3基準)
-英語正式名称は「Corporate Value Chain (Scope 3) Accounting and Reporting Standard」(コーポレート向けのバリューチェーン(スコープ3)の算定と報告の基準:星山仮訳)
-英語通称は「Scope3 Standard」
SBTiの設立の経緯と歩み
SBTiの問題意識はGHG排出削減目標と科学的知見の整合
●「SBTi Progress Report 2019」によると、SBTi設立以前にも、多くの企業がGHG排出量の算定・報告を行い、GHG排出量の削減目標を設定していました。しかし、その削減目標が気候科学の知見と整合しているケースは少数派であったことが記されています。
●また、その結果として、実際の排出削減量と最新の気候科学が求める排出削減量との間には大きな隔たりがあったことも記されています。
●さらに、この隔たりを埋めるために、気候科学の知見を削減目標の設定に必要なツールやガイダンス等に落とし込むとともに、企業の技術的・手続き的障壁を取り除くことで、企業がそれらのツールやガイダンス等を採用して適切に目標設定できるように取り計らう必要があったということも記されています。
●これらの情報からまとめて簡潔に言えば、SBTiが設立当時に抱えていた問題意識は、GHG排出削減目標と最新の気候科学の知見とを整合させることであったと言えるかと思います。
SBTiの設立は2015年(パリ協定の採択と同年)
●SBTiの設立は時代的にはパリ協定の採択と同じ年でその半年前になります。
●SBTiの主な歩みは、関連する国際的な動向を含めて、次のとおりとなります。
GHG排出削減目標を2度水準と整合させるキャンペーンを開始。
パリ協定を採択し、1.5度努力目標を明文化。
SBTiが2度水準と整合した目標の受付を廃止し、1.5度水準と整合した目標か2度より十分に低い水準と整合した目標のみの受付へ変更。
1.5度目標を再確認。
SBTiが2度より十分に低い水準と整合した目標の受付を廃止し、1.5度水準と整合した目標のみの受付へ変更。
分離・独立した下部組織としてSBTi Services Limitedを設立。
GHGプロトコルとSBTiの関係性
SBTiの各種基準類はGHGプロトコルの各種基準類に準拠
●2019年3月に環境省と経済産業省は共同で「国際的な気候変動イニシアティブへの対応に関するガイダンス」を公表していますが、このガイダンスの「1.1. ガイダンス策定の背景」には、次のような記述があります。
昨今、グローバル企業の気候変動対策に関する情報開示・評価の国際的なイニシアティブ(CDP、RE100、SBT等)の影響力が大きくなっている。これらのイニシアティブでは、企業横並びでの比較・評価を可能とするために、温室効果ガス排出量の算定方法としてGHGプロトコルの各種基準類(コーポレート基準、スコープ3基準、スコープ2ガイダンス等)の利用を推奨しており、これが国際的なデファクトスタンダードになりつつある。
●この情報の裏付確認のために、2024年3月にSBTiが改訂・発行した各種基準類の1つである「SBTi CORPORATE NEAR-TERM CRITERIA」(SBTiコーポレート向け短期目標要件:星山仮訳)を見ると、「Introduction(はじめに)」の箇所に「企業は、GHGプロトコルのコーポレート基準、Scope2ガイダンス、Scope3基準に必ず従わなければなりません」と書かれています。
●同じことは、「SBTi CORPORATE NET-ZERO STANDARD CRITERIA」(SBTiコーポレート向けネットゼロ基準要件:星山仮訳)の「Introduction」でも確認できます。
●これらから判断すると、SBTiの各種基準類は、国際標準化が進んでいるGHGプロトコルの各種基準類に準拠していると言えるかと思います。
●なお、GHGプロトコルの公式サイトの「Compatibility with Other GHG Programs(他のGHGプログラムとの相性)」を見ると、次のようなことが書いてありますが、このようなことがGHGプロトコルの各種基準類に準拠する形でのSBTiによる各種基準類の作成を可能にしたといえるかと思います。
GHGプロトコルの基準は、排出削減を目指す各種プログラム、政策等から中立性を保ちつつも汎用性の高いものとなるように設計されていて、あくまでGHG排出量の算定と報告までを基準化することに焦点を当てています。また、GHGプロトコルの各種基準類は、検証可能な(verifiable)GHGインベントリを作成できるように設計されていますが、検証(verification)プロセスをどのように実施するかまでは基準に規定されていません。
●逆に、GHGプロトコルの側でも、GHGプロトコルによる各種基準類の更新の歴史においてSBTiの設立は重要な出来事の1つとして認識していて、今後はGHGプロトコルが自らの基準類を更新する際にもSBTiの動向や基準類を十分に踏まえて行うようになっていくということがGHGプロトコルの公式サイトの「GHG Protocol Standards and Guidance Update Process(GHGプロトコルの基準とガイダンスの更新プロセス)」という記事を読むと分かります。
排出削減目標の立案には排出量の算定とインベントリの作成が必要
●以上のようにSBTiの各種基準類がGHGプロトコルの各種基準類に準拠していることは、排出量の削減目標を立てる(SBTの役割)ためにはまずは排出量を算定して排出インベントリを作成する(GHGプロトコルの役割)ことが必要になるということを考えてみれば、とても自然なことと思います。
●SBTiの中心的基準である「SBTi CORPORATE NET-ZERO STANDARD (SBTiコーポレート向けネットゼロ基準:星山仮訳)」の「4 Process to Set Science-Based Targets (SBT設定のためのプロセス)」を見ても、削減目標の設定のためには、その前に排出量の計算と排出インベントリの作成が必要になるという流れが確認できます。
●また、GHGプロトコルの設立が1998年であり、SBTiの設立が2015年であることを考えても、SBTiがGHGプロトコルの各種基準類を踏襲したことは自然に思えます。
まとめ
第3回目となる今回は、GHGプロトコルとSBTiのそれぞれの設立時の問題意識と歩みを振り返りながら、両者の関係性を見てきました。
具体的には、GHGプロトコルがGHG排出量算定手法の国際標準化を主な目的としているのに対して、SBTiがGHG排出量削減目標の科学との整合を主な目的としているという点で、両者は違うということを見てきました。
また、そうした両者の違いがある反面で、GHGプロトコルとSBTiはどちらもともに排出削減を目指すという大きな流れの中で生まれてきたものであり、SBTiの各種基準類は国際標準化の進んでいるGHGプロトコルの各種基準類に準拠しているということも明らかにしました。そして、それは、排出削減目標の立案(SBTの役割)には排出インベントリの作成(GHGプロトコルの役割)が必要になるということを考えれば、自然なことであるということを最後に確認しました。
ただし、現時点の私は、SBT認定を受けるためには、SBTiの各種基準類とGHGプロトコルの各種基準類の両方を理解する必要があるのか、それとも、日本政府が作成した日本語の各種ガイドライン類だけを代わりに読むことで事足りるのかまでは把握していません。
この不明点を含めて新たに湧いてきた疑問点はまた回を改めて次回以降に少しずつ明らかにしていきたいと思っています。
このブログでは、初心者による初心者のための分かりやすい解説を売りにして、回を重ねて少しずつ疑問点を調査に基づいて解消していくという執筆方針をとっており、体系的な知識・情報をあらかじめ獲得してから記事を書いている訳ではありません。
読者の皆様には、その点をご理解いただいた上で参考にしていただきたいと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。
投稿後の加筆・修正
【2024.11.22】追加情報の提供を目的に加筆・修正
※この記事は2024.04.06に初投稿していますが、以下の3点につき追加で情報提供することを主な目的に、2024.11.22に本文の関連箇所を加筆・修正しています。
①SBTiによるこれまでの歩みの中で2021年10月にネットゼロ基準が導入されたこと。
②SBTiによるこれまでの歩みの中で2023年9月にSBTiの目標認定部門が分離・独立化されたこと。
③排出量の削減目標を立てる(SBTの役割)ためには、まずは排出量を算定して排出インベントリを作成する(GHGプロトコルの役割)ことが必要になるということ。